原材料
ブライヤー交易の忘れられた製造者とブランド
エリカの根塊からパイプを作っていた何百もの工房や工場は、シャンクに刻印された数文字だけを残して姿を消した。本項は、その失われた産業の痕跡をどの記録から辿れるかを扱う。
ブライヤー交易の忘れられた製造者とブランドは、ブライヤー(briar)を加工してパイプを作っていながら、今日ではその名が刻印だけの存在となっている業者を扱う。19世紀後半から20世紀半ばにかけて、ヨーロッパと北米で何百もの工房や工場が設立されたが、その大半は廃業に際して文書館もカタログも残さなかった。
エステートパイプを手にしたコレクターが直面するのはまさにこの問題である。シャンクに刻まれた名前だけでは、多くの場合どこにも辿り着かない。
刻印を打つ者と、パイプを作る者は別である
この不確実性の根には、この産業の分業構造がある。木工旋盤の伝統が深く根付いていたサン=クロードは、ブライヤー革命以降1855年から急速にブライヤーパイプで成長し、19世紀半ばから20世紀半ばまで手作り木製パイプの世界的中心地とされた。フランスのもう一つの拠点であるヴァール県のコゴランは、1880年頃から高級パイプに特化し、ここの工場は生産の一部をイギリスへ送っていた。
これらの工房の多くは自社名ではなく、受注生産で稼働していた。記録によれば、1914年付のあるアメリカ領事館の通商報告書は、「イギリス製」として知られるパイプの相当部分がサン=クロードで最初から最後まで作られ、しかも買い手の名がすでに刻印された状態で出荷されていたと伝えている。イタリアでも事情は同様だった。生産の大半が集中するロンバルディアの工場は、多くが外国人である販売業者のために働き、刻印(punzone)は製品完成後に打たれた。したがって、あるブランドが何軒の工房に発注していたか、ある工房が何件のブランドのために働いていたかは、多くの場合わからない。
関税の壁と閉ざされた扉
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出典:Pipedia(CC BY-SA ライセンスに基づき翻案)