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歴史と文化

Herbert Edward Dunhill

Alfred Dunhillの末弟で、会社の財務面を担った頭脳。1912年に入社し、1928年から1950年に亡くなるまでイタリアとモナコの自宅から郵便でダンヒルを経営した。遺産は結核研究に充てられる慈善財団へと姿を変えた。

Herbert Edward Dunhill(1882–1950)は、Alfred Dunhillの末弟であり、Dunhillブランドの経営面での設計者である。家族から「バーティ」と呼ばれていたHerbertは、会社では製品面ではなく経理面に立っていた。会計、事務体制、資本に関する判断は四十年近くにわたり彼の手にあった。

ブランドがデューク・ストリートの一店舗から国際的な企業へと成長したことは、Alfredの製品への情熱とHerbertの経理面での規律との、この役割分担によるものとされている。

共通の出発点、別々の道

Herbertの実業家人生の初期は、文書よりも家族の語り継ぎによって知られている。若い頃しばらくニューヨークで店を試みたこと、帰国後に兄が1907年にデューク・ストリートで開いたタバコ店に共同出資者として加わったこと、しかし債権者との問題によりこの共同経営が早々に終わったことが伝えられている。記録によれば、兄弟は1905年に自動車部品の会社から離れており、1908年後半の税務記録には「Dunhill Bros」の名が見られるものの、共同経営は解消され、会社がこの名で取引を行うことは一切なかった。Herbertはその後、ロンドン北部で小さなタバコ店を二軒経営し、1911年までタバコの売買に携わった。

1912年 ― 経営への参加

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出典:Pipedia(CC BY-SA ライセンスに基づき翻案)